思い
- Sumiyo Kakisaka
- 2022年4月8日
- 読了時間: 2分
ずっとずっと、個人の教室で教え始めて、お月謝を手渡しでいただく様になって、悶々としていることがありました。
人の価値観は様々なので、これはあくまで私の一方的な思いではあります。
私がピアノを習っている時、母は、お月謝はいつも必ず新札で用意してくれていました。
ピアノの先生からも「お月謝は必ず新札で」
と言われていたので、ずっとそれが当たり前だと思っていました。
自分が教え出して、お月謝を預かる様になって、愕然とする機会が何回かありました。
新札じゃないのは100歩譲ったとしても、
お月謝の端数がジャラジャラ。

お月謝とかって、前から分かっているもので、急にではなく、事前に用意するものである、と私は思うんです。
それなのに、ここまで細かくなると、
なんだか私のこと、なめられている気分にさえなってしまいます。。
中にはもちろん、しっかりと準備していただいて、新札でいただく方もいらっしゃいます。そういう方がいらっしゃると、きちんと礼儀を知ってある方なんだなー、ってホッとします。
時代が変わったと言っても、日本人である以上、その辺りのことは、普遍のものであってほしい、と願っています。
そして、言葉について以前も書きましたが、
「お疲れ様です」は、生徒の保護者と先生の関係で使う文言ではないと、少なくとも私は感じています。
また「感心しました」という言葉も、「感心させられました」とかいう使い方が合うのではないか、と感じています。
メールが普及した今、
メールで連絡を取り合うのは当たり前ですが、書き方によって、相手を怒らせたりすることがあります。
保護者の方との関わりで、
ここのところ、メールでもびっくりすることがあります。
実際私もやりとりで失敗したことがあります。だからこそ、余計に言葉には気をつけたいなと感じます。
いつもblogをご覧くださりありがとうございます。
お一人でも共感していただける方がいたら、嬉しいです。
せめて、このblogを読んでいただいた方だ
悩ましい問題ですね。同じ言葉、同じ行動でも相手によって、
何も感じなかったり、モヤモヤしたり、皆さんご経験されると思います。
日頃からの積み重ねなのか、相手の持っているものなのか、
原因はいろいろあるでしょうけれど、相手がどう思うかに思いを馳せる
思いやりの心次第。モヤモヤする相手には残念だなぁと思いながら、
やり過ごすのが一番です。それに煩わされるのは良くありませんからね。
最近は支払いの全てをカードやペイ払いのみで生活する人もいるようですし、小銭の両替も手数料を取る世の中にもなり現金を持たない人が増えているというのも関係するのでしょうか? 逆にここまでしてお釣りが出ないように持ってきたことを褒めてって思ってるのかも?? 勝手な見解にはなるけれど、 先生のモヤモヤの根本は 先生と生徒の関係性な気もします。主従関係が逆転している生徒さんや親御さんがいるのかな?とか… お金払ってるお客様なんだからちゃんと教えてね みたいな関係性になってたり? 先生に教わってスゴいと思うのは私が曲を弾いててココの箇所までは気持ち入ってたけどその後は心ここにあらずな音がしてたなど見事に当てられエスパー??と思ったこと多々あります。繊細だから気づいてしまうことが多いのでしょうね。
私も幼い頃から、お月謝は母が新札で準備していたのを覚えています。
その記憶があるからか、今は新札が廻ってくると、次のお月謝のために使わず
保管しています。